午後の酩酊

I need to be myself.

0407

随分と更新まで間があいてしまった。

 

帰国してから、何だかんだで忙しい日々を送っている。

学校の用事を済ませたり、部活の行事へ顔を出したり。

 

4年生最後のライブを見にライブハウスへ行った時、一年ぶりに会う皆から歓声が上がったのがとても嬉しかった。私の居場所はまだちゃんとあったんだって思った。

留学へ行く前に私が泣いたのは、会えなくなるのが寂しいからじゃなく、変わってしまうことが怖かったからで。一年ぶりにまた泣いてしまったのは、変わらない皆がそこにいてくれたから。

 

本当はいろいろなことがあったらしい。

内部分裂が起きて、修羅場も何回かあって、派閥が出来たと後になって聞いた。

 

私は何が起きたかなんて全く分からずに、帰国したその体のまま皆に会いに行って、いつも通り話して帰った。

 

そして一昨日、一緒にお酒を飲んだ先輩に言われた言葉が、今でも心に残って離れない。

「お前が帰ってきたことで、部活の穴がこんなにすぐ埋まると思わなかった。ほんと、この部活にいてくれて良かったよ。」って。

 

私にとって部活がとても大きな存在であるというように、私のことも少なからずそう思ってくれる人がいると思うと、とても嬉しかった。何をしたわけでもないけれど、そこに居ることの意味を認められた気がした。

 

 

0319

ようやく法的に大人と認められる年齢になった。

19歳から20歳になったところで急に何かが変わるわけではない。逆に何かを失うわけでもない。ただいつも通り日付が変わって、新しい一日が始まって。たぶん、それだけ。普通の人に見られる私は、それでも普通の人が経験する以上の事を、経験してきたのではないかと思う。

 

辛い事が多かったのは嘘じゃない。

そのために悟ってしまった事も多かった。

 

幼い頃から、実年齢より年上に見られる事が多かったのは、そのせいだと思う。

それを嫌だと思った事はないけれど、いつだったか、「子供は子供らしくすればいいの。何も怖がる事はないんだよ。」と言った女の人の声が頭から離れない。

絶対に甘えたり、駄々をこねたりしない子だったと、親戚によく言われる。その言葉を聞いて、年下の従姉妹と自分を比べて「ああ、確かにそんな気がする」と思ったのは中学生の頃だったか。

特に羨ましくも、悲しくもなかった。

ただ私はそうして生きてきたのだと思った。

出来るだけ傷つかないように、面倒事にならないように、怒らせないように。後になって今よりも酷い仕打ちを受けるくらいなら、その場で私がじっと我慢すれば良いと、そういった道を歩いてきただけのことだと、諦観していた。それが逃げだと思うなら、それでもいい。どちらがましなのかは私が何よりもよく知っている。

 

鉛筆やシャーペン、ボールペンを刺された痕が、今でも刺青の後のように残っている。

恐怖でしかなかった親という絶対的な支配者。それに怯え、理不尽な仕打ちに怒りや憎しみを覚え、悔しさと悲しささえも経験し尽くしたら、その支配者は、最早どうでも良い存在に成り下がっていた。

そう思うまでに何をどれだけ犠牲にしてきたかは私には分からないけど。

もしかしたら大切に持っておくべきものも、一緒にどこかへ捨ててしまったのかもしれない。

 

痣や体の腫れはいつか消えてなくなってしまうけど、この青黒い痕はいつでも私に事実を知らせてくれる。

あの日々は本当にあったのだと。 

 

20歳になったら、もう生きるしかない。死ぬならその前だと中学の頃に決めた。

首をくくった高校2年の夏。死ねなかった事を今更悔いても仕方がない。

迎えてしまったのだから、自分に誓ったこれだけは守っていかなければならない。

そうでなければ私は自分さえも裏切ることになってしまう。

 

だから今日も元気に一日を過ごそう。そしてまた明日を迎える。それでいい。

 

20歳の誕生日おめでとう、私。

 

0318

やっとまとまった時間が出来たから、久しぶりにフェイスブックやらツイッターやらを更新した。

 

いろんなインターネットサイトを使っていると、いつの間にかプライベートが無くなってしまいそうだと思うことがある。今ではGPSで自分がいる場所まで投稿出来るし、投稿内容が秒単位で知らされる世界。だからこそ書けないことがあるし、書きたくなることもある。

いくつかのブログを使い分けてて思うのは、やっぱり知り合いに見られてない方が本来の自分でいられるということ。

 

誰にでもその場その場での顔があると思う。学校、職場、家、近しい友達。

その中の誰か一人でも見ている人がいるということは、その時の顔のまま書かなきゃいけないということ。だからといって決して無理をしているわけじゃないけど、時々それを窮屈に感じることはある。

人間、いつでも笑っているわけじゃない。弱音や毒を吐きたくなったりすることだってある。例えば私が以前書いた3行ほどの日記は、紛れもなく私の中から出てきた言葉だけれど、それを友人の見ている日記で書けるかと聞かれたら、答えは「いいえ」だ。

自分の文章が恥ずかしいものだとは思わない。

だけど、それを他人が「普段のこの人」というフィルターを通して見た時、そこに生じるのは違和感でしかないと思う。

自分を偽って生きているわけでも、必要以上に無理をしながら生きているわけでもない(と思う)。ましてや演技をしているわけでもないけれど「イメージ」というものはどこにでも存在していて、時々私を苦しめる。

 

さて、それを過ぎたら何がなんでも寿命を全うすると決めたその日が、遂に明日になってしまった。

頑張って守ろうか、14歳の私がした誓いを。

 

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0311

明日、ふらりとスコットランドへ行く。

 

特にプランは決めてないけど、行きに小さなガイドブックを買って、飛行機でそれを見ながら計画を立てるのも悪くないと思う。

一人旅は自分次第でいろんな楽しみ方が出来る。

観光をしに疲れ果てるまで歩くもよし、ふらふらのんびりと当てもなく散歩するもよし。ふと思いついて急遽遠出をするのも、逆に予定を取りやめにするのも自分次第。気を使う相手が居ないのが、一人旅の最大の長所だと思う。寂しくなったら、優しそうなお年寄りに声をかけてみても良い。行ってみれば意外と現地での出会いはあるものだ。

もともとのんびりとした性格だから、あれもこれもと無理に詰め込んだスケジュールは好きじゃない。

分刻みのスケジュールに沿うそれは、ある意味では正しい旅行の形と言えるのかも知れないけど。たぶん、すごく疲れる。精神的にも肉体的にも。せっかくの旅行なんだから、もっと気楽でも良いんじゃないかなと思う。

 

帰ってきて、他の何よりも疲れが残ってしまう旅行は、なんだか少しもったいない気がする。 

  

0309

どこに地面があるのか分からないプールの中で藻掻いても、上手く泳げない私は底に沈んでゆくばかりだ。気付けば水面は遥か遠くに朧げな光を映しながら、ゆらゆらと光り輝いている。いつしか体内の酸素は薄くなり、朦朧とした意識の中でそれを知った時、私はもう動くことすらままならないただの人形だった。

どう取り繕っても言い訳にすらならないことを繰り返して、見放されたってそれは自分のせいなのに、怖いのはやっぱり嫌われたくないから。

0307

雨が窓を打ちつける音が日本に居たときと違う。

次の一粒が落ちるまでの間隔は少し長く、それでいてどこか纏わりつくような重みのある音だ。

 

目の奥が痛い。

どうせ学校へ行かないのなら、何か生産的なことをしようと思いながら、今日もパソコンの画面を見るだけで一日が終わった。帰国まで二週間をきって、異郷で暮らした1年間を振り返ってみると、その地に居るという自分に満足していたような気もする。

 

何を得たとか、何をしてきたとか、そういったことはさほど重要ではないと思う。

それは私が常に感覚的なものに重きを置いているからかも知れない。

 

どんなことをしてきたか、何を得たか、それを誇らしげに語る人がいる。

来月、私もそういった人達の発表会に参加することになると思う。

だけど私はひねくれ者だから、それは本当に自分の意志でしたことなのだろうか、誇れるほどのことなのだろうかと思ってしまう。もしかしたら心の奥深くに「やらなければならない」という潜在的な義務感が潜んでいて、無意識のうちにそれに従っていただけかも知れない。

ならばその誇りは仮初で、直感的に感じたことこそが真実なのではないかと。

 

自分が正しいとかそういうことが言いたいわけではない。

 

ただ、雨にも表情があるだとか、夜にも深い夜とそうではない夜があるだとか。

そういったことって見逃しがちだけど、とても、大切なことなんじゃないかと思う。

 

 

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